2013年9月20日金曜日

Is this jazz?? ④ジャズとビートボックス

 今回で最終回?それは明日もう一つ記事を書く元気があるかどうかにかかっていますが、今回はこれからのジャズ、未開拓分野の「ジャズとビートボックス」です。

 「ヒューマン・ビートボックス」いわゆる「くちドラム」の進化系です。
 古くから、アカペラ・グループでは打楽器担当をする役の人を「ボイス・パーカッション」と呼んでいました。ヒューマン・ビートボックス(以下ビートボックス)も着想は同じだと思いますが、どちらかというとルーツはヒップホップ誕生時のストリートから。必須であるターンテーブルが買えないとの事でボイスで全てを表現し始めたのがきっかけだそうです。
 ビートボックスはボイスパーカッションと違い、ドラムだけでなくベースやシンセ、コーラスの音まで同時にやってのけます。「ターンテーブルから出るトラックの音」を表現しようとすれば、自然な進化過程だと思います。ちなみにこの人がパイオニアだと言われています。

 

  現代のビートボックスは、ドラムの音というより「マシンでプログラミングされた音」を再現している場合がほとんどです。私もこれを始めた動機の一つに「打ち込みのような自由なサウンドを自分の手でリアルタイムに作り出したいから」というのがありました。もちろんドラムである程度は演奏できますが、例えばスネアの音色を瞬間的に劇的に変えたい場合など、生楽器では不可能な事もあります。生楽器は一発一発不揃いで、一つの楽器からあらゆる音色を微妙に引き出す面白さがあり、もちろんそれだけで成り立つ音楽は世の中あまたありますが、テクノやブレイクビーツ等にハマって生楽器では不可能な広がりや展開を目の当たりにしてしまうと、自分の音楽に当然取り入れたくなります。なにしろ生楽器でどんなに頑張っても不可能なサウンド展開ができるので、やりはじめてから楽しくて仕方がないです。

 そんなわけで、打ち込みサウンドの魅力にすっかりとりつかれてはいますが、打ち込みに唯一苦手なものが「スウィングする4ビート」であると感じます。自分がプログラミングに長けていないのでただのリスナーとしての感想ですが、未だかつてマシンで打ち込まれたスウィングのリズムで生のジャズ・ドラムより気持ちのいいビートを味わった事がありません。
 もう一つ、ジャズの生ドラムは一定のパターンである事が少なく、その場の音楽によって音量も内容もかなりランダムな演奏になり、その方が自然に聴こえます。打ち込みジャズにありがちなのが「不自然なパターン化」です。
 原因を自分なりに探ってみましたが、結論としては「スウィングの4ビート・ジャズはその場でしか作れない、ランダムなものだ」としか言えません。整っていない事が前提だ、とも言えます。

 そこでやっと「ジャズでビートボックス」です。口でリアルタイムに音を出す事により「その場で作る整わないもの」が作り出せて、かつ生ドラムでは不可能なサウンドも展開できる。自分は日常的にスウィング・ビートのドラムを演奏しており、どういうリズム・タイム感で音符を並べればスウィングするか、現場に出つつ研究して演奏してきた自負があります。平たく言えば「わりとええ感じのジャズ叩けるねんで!」と自分では思っています。

 長い長い前置きでしたが、「現役ジャズ・ドラマーによる本格的ジャズ・ヒューマン・ビートボックス」を以下のライブで披露致します。「世界で初めて」を目指して頑張りたいと思います。


チャージは2000円でございます。


 
 

2013年9月15日日曜日

Is this jazz??③ジャズとブラジル音楽

  前回は「ジャズとラテン」についてでしたが、第三回は「ジャズとブラジル音楽」について述べようと思います。

  まず、ラテンとブラジルの違いですが、ラテンのルーツは西アフリカ〜キューバ、ブラジル音楽はもちろんブラジルです。キューバはスペイン語圏、ブラジルはポルトガル語圏という言語の違いがあります。さらには気候、風土、食べ物も違います。ルーツのルーツは同じかもしれませんが、少なくとも違う国としてそれぞれ文化ができている以上、個人的には両者は別物だと捉えたいし、安易に混同させたくありません。

  それを踏まえて、ブラジル音楽とジャズの関係を振り返ろうと思います。

  ジャズにブラジル音楽が取り入れられるには、「ボサノヴァ」の誕生を待つ必要がありました。
  1950年代、ブラジルでは、より洗練されたサンバであるボサノヴァ・ムーヴメントが起こり、その中心にいたのがアントニオ・カルロス・ジョビン(p)とジョアン・ジルベルト(g)でした。
  1963年にはアメリカで、サックスのスタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトとジョビンを呼んでボサノヴァ・アルバム「ゲッツ・ジルベルト」を製作、大ヒットし、世界中にボサノヴァ・ブームが巻き起こりました。

  1970年代にはチック・コリア(p)がブラジル人のアイアート(per)とフローラ・プリム(vo)夫妻を迎えて「リターン・トゥ・フォーエバー」を発表しこれも大ヒット。同時期にウエイン・ショーター(ts)はブラジルからミルトン・ナシメントを迎え「ネイティヴ・ダンサー」を発表、流行のスタイルとしてのボサノヴァのみならず、よりディープなブラジル音楽がジャズ界に浸透していきました。ジョビンも、CTIレーベルよりリーダーアルバム「ウェイヴ」を発表しています。

  以降、ボサノヴァ・サンバをはじめとしたブラジル音楽は、ラテン音楽と同様、ジャズの中に当たり前に存在する物として取り込まれ、やはり自分も演奏する機会が多いです。
  個人的に、ラテンを演奏する時は熱量を、ブラジルを演奏する時には風をイメージするように違いを表現するようにしています。キューバもブラジルも行った事ありませんが(笑)。

  せっかくなので動画を。

  ブラジルのミュージシャンとアメリカのジャズ・ミュージシャンの混成バンド「ライヴ・フロム・バイーア」です。コブハムとコリエルという超暑苦しい2人がいるにもかかわらず、ブラジルのミュージシャン達のお陰で風が吹いています。

2013年9月12日木曜日

Is this jazz?? ②ジャズとラテン

 ジャズは、これまでに様々な他文化を取り込み、たくましく発展してきました。これは、ジャズ音楽家がいかに好奇心旺盛だったか、またジャズという音楽がいかに柔軟性のある文化だったかという事を証明する事実ではないでしょうか。

 第二回は、外から取り入れた文化の中でも最も強い影響を与えたジャンル「ラテン音楽」とジャズとの関係について述べます。

 ジャズはアフロ・アメリカンから生まれたものですが、その時代にはキューバからの移民もいました。
 最初にジャズとラテンが出会ったのはマチートというコンガ奏者がきっかけです。彼がマンボのバンドを始めた時、義兄弟のアレンジャー、マリオ・バウサがジャズアレンジの中にマンボの要素をミックスしたのが最初の出会いだと言われています。
 その後、有名なビ・バップのトランペッター、ディジー・ガレスピーが積極的にラテンのオリジナル曲を書き演奏、ラテンの要素をジャズ界に大きく広めました。

                ダンスも達者なようです。

 ガレスピーのバンドのドラマー、アート・ブレイキーも独自のラテン・ドラミングスタイルを作り上げ、後にガレスピーのオリジナル「チュニジアの夜」を自己のグループ「ジャズ・メッセンジャーズ」の演奏で大ヒットさせました。

  クラーベ(拍子木)はウエイン・ショーター!

 ドラムに関しては、ブレイキーはキューバのパーカッションをかなり忠実にドラムに対応させていますが、後のジャズ・ドラマー達は完全に自分の語法で演奏しており、エルヴィン・ジョーンズあたりになると大分崩れてスウィングしたりしています(ラテン専門のパーカッショニストによれば、ラテンのリズムがスウィングする事はまずないそうです)。

 時代は進み、1970年代にはロックやソウル・ミュージックとの融合が進む中、スティーヴ・ガッドは「モザンビーク」というリズムを取り入れました。


 また、1980年代末にはデイヴ・ウェックルが「ソンゴ」というリズムを取り入れましたが、これは私もリアルタイムだったので非常にワクワクした覚えがあります。


 ガッドやウェックルはフュージョンというカテゴリーに分けられ、ジャズ原理主義者からは「これはジャズではない!」と怒りを買う事もあるそうですが、演奏する立場から言わせていただくと、ガレスピーがラテンを取り入た精神と何ら変わらない点から、彼らの精神はジャズそのものだと思います。

 現在、我々がジャズ・ライブをやる時、ラテン・アレンジをかなりの頻度で演奏します。それどころか「ソンゴ」のパターンすら要求される事があります。ラテンのリズムとテイストのお陰で、現代ジャズはより華やかでバリエーションに富んだものになっていると言えます。

2013年9月10日火曜日

Is this jazz?? ①ジャズとダンス

 今回の記事からしばらく、ジャズを色々な観点から論じてみようと思います。9月22日のソロ・パフォーマンス「Is this jazz??」の、平たく言えば曲紹介のようなものだと思っていただいて結構です。

 第一回は「ジャズとダンス」

 1930年代、ジャズはビッグ・バンドによるスウィング・ジャズの時代を迎え、奴隷としてアメリカに連れて来られた黒人だけのものから、ミュージカルや映画の力もあり一気に大衆化しました。
 一方ダンスの世界に「ジャズ・ダンス」というジャンルがあります。このダンス形態は、白人のバレエの要素と黒人のアフリカ系ダンスの要素が組み合わさって生まれました。タップ・ダンスも交えながら、やはりこの1930年代に大衆化したとされています。現在では必ずしもジャズを流して踊る訳ではなく、「ジャズ・ダンス」として音楽のジャズとは別に語られます。

 つまり、この当時のアメリカでは、ダンス・ミュージックといえばジャズだったという事です。当時は最先端、スウィングするビートに乗って人々は踊り狂っていました。

 ここで自分が言いたいのは、1930年代の音楽だからといって、スウィング・ジャズのビートが2013年の今古臭いかというと全然そんな事はなく、ダンス・ミュージックとして全く色あせていないという事です。それを、「Sing Sing Sing」という当時の曲で例示してみましょう。
 
 まずは当時のダンスを。画面の埋め込みができないのでこちらに飛んで下さい。
 男性ダンサーはフレッド・アステアです。軽やかで優雅。さすがですね。どんだけ回るねんと(笑)。
 演奏はベニー・グッドマン・オーケストラ。このドラムパターンは、ジャズとダンスの歴史を語る上で欠かせない革命的なパターンです。開発者は名ドラマー、ジーン・クルーパ。

 さてこの曲は、現代の最先端のダンサーも取り上げています。

 ダンスの歴史もどんどん進化していて、現代の解釈だとこんなに凄い事になっています。スウィング・ジャズが現代のダンスともちゃんとコラボレーションできる=色褪せない事が証明されています。いや、この曲を自分たちの語法で踊りきったQuest Crewを称えるべきか。それにしてもかっこいい!

 最後にもっと若い世代、手前味噌ですが2012年6月の私とWataruのパフォーマンス。もっと新しい解釈だとこうなります。


 彼から最近教えてもらったんですが、今「エレクトロ・スウィング」という音楽・ダンスのジャンルがあるそうで、これからも「スウィングするジャズのリズム」はしぶとくダンス・ミュージックとして生き残りそうです。